散筆系柑橘雑記

獄中手記ではありません

久しぶりに「秒速5センチメートル」を見た話。 ー“秒速”を見れない青春コンプたちー

「ねぇ、秒速5センチなんだって」

 

 

 

「え、何?」

 

 

 

「桜の花の落ちるスピード、秒速5センチメートル

 

秒速5センチメートル : 作品情報 - 映画.com

 

皆さんこんにちはこんばんはおはようじょ

地獄サーバー青春コンプ二大巨頭の一角 ponkanと申します。

 

今回は先日久しぶりに新海誠監督の映画「秒速5センチメートル」を劇場に見に行ったのでこの機会にその時の感想等を書いておこうと思います。最近キモブログしか出してないので最悪じゃないブログと言い張ってこれを掲出しようという意図があることはさておいて…

まぁ蓋を開ければ拗らせキモオタクという意味では十分最悪な記事でもあるんですが

 

2007年に初公開の映画ですが実は現在、作中の重要なモチーフでもある桜にちなんで、桜前線上映として関東以南では3月末から、北関東以降では4/12より2週間限定で再上映しています!!

 

前々から秒速が好きだった上にここ一年くらいの間でいつの間にかAmazon Primeの特典から消えていたのもあって秒速見て~~~の感情が高まっていたので迷わず見に行くことにしましたね。ちなみになぜか新海誠の映画を見るときは必ず連れていくフォロワーがいるので一緒に行きました。彼は初見だったので令和の世で秒速5センチメートル初見の感想を生で聞けるのは結構楽しみだった。

 

俺「行くぞ」フォロワー「はい…」

 

 

この作品、巷では青春コンプオタクが好きだとか青春コンプ抱えてるとしんどくなるとかいろいろ言われてるけど、実際青春コンプ人間にとっては劇薬だと思う。

秒速を見れない青春コンプたち

 

監督本人がこんなこと言ってましたけど、俺もその時々出会う人の一人ってわけです。

 

余談ですが僕の好きなえっちゲームに「恋×シンアイ彼女」って作品がありまして。たまに秒速と似たものを感じるって言ってるオタクがいて あっ…(察し)となる。

 

ちなみに今回はできる限りネタバレなしでいきます。今更ネタバレに配慮する必要も無いかなと迷ったんですが、これを見て初めて秒速を見る人が出るといいですねということで。こんな記事を見てないでまずは本編を見てくださいと言いたいところですが、最悪すべて読んでから興味を持って本編を見にいっても大丈夫。逆に多少なりとも気にする人は大人しく本編見てからにしてください。

 

どちらにしろとにかく本編を見てください。劇場で。見ましょう。見ろ。

 

なんとなく昔の新海誠作品を少しでも知っている人はイメージしやすいと思うんですがネタバレなしで書くのは結構難しいんですよね、作品全体に対していわゆる「ストーリー」と明確に言える部分が多くなくて、主要な部分を書くとそれだけでストーリーとしては全部書いてしまっているじゃないか、となりかねない。こと秒速においては顕著だなと思う。逆に言えばこの作品を楽しめるかどうかは単純にストーリー展開の面白さとはまた別のところにあると改めて感じるな。

記号化された表現を使いまくっていて、断片的な要素を繋ぎ合わせて解釈させていく感じがかなり新海誠っぽいなと思う。というか自分の中で新海誠の作風イメージが秒速にかなり引っ張られてるかも。

 

あと実は劇場アニメ以外にも小説版が出ていたりします。でも俺はアニメ版しか見たことないのでそのつもりでお願いします。小説版とかは機会と元気なメンタルがあったら見ますね…。

長々と書いたけどそろそろ内容に行きましょう

 

あらすじ

まずはあらすじから

秒速5センチメートルは20分のアニメ×3本で約60分の3部作構成となっています。

第1話が「桜花抄」第2話が「コスモナウト」そして第3話が「秒速5センチメートル

 

「桜花抄」では主人公 遠野貴樹とヒロイン 篠原明里の出会った小学生時代から中学生時代について描かれます。お互いに親の転勤によって東京の小学校に転入してきた2人は仲を深めていきますが、中学に上がるころに明里が栃木に引っ越してしまうことで別れが来ます。彼らは文通も交わしますが、中学2年になるころ今度は貴樹が種子島への引っ越しが決まってしまったため、これまで以上に会いにくくなると考え、貴樹は明里のいる栃木まで電車で会いに行く…といったお話。

 

「コスモナウト」では高校生となった貴樹が過ごす種子島が舞台。貴樹に想いを寄せる高校の同級生、澄田花苗の視点で進みます。そのせいか、このパートが貴樹を最も魅力的に描いているように見える。貴樹に告白しようと葛藤する花苗と、花苗の視点で見る貴樹の様子が印象的。花苗の恋心とは裏腹に貴樹は明里や初恋の記憶にとらわれていて、高3の貴樹は進路について東京の大学に行くと語る。

 

最後に「秒速5センチメートル

社会人になった貴樹の過ごす東京でのすさんだ日常と、対照的に大人になった明里の幸せそうな様子が描かれます。社会人になってから(早くても大学生時代)貴樹と交際した水野理沙という女性も出てきますが3年で振られます。こんなもんです。正直このパートは説明できることが少なすぎる。詳細は後で書きます。

 

3話に分かれて、主人公の遠野貴樹を中心に小学生時代から社会人時代まで時系列に沿って話が進んでいきます。また、それぞれ舞台となる場所も区切られていて東京(栃木)、種子島、東京といったように移り変わります。この作品のポイントは貴樹と明里の時間の流れによる断絶と2人の距離的、空間的な断絶と思っていますが、そのことがはっきりとわかる形だと思います。 

ちなみに設定としては1990年前半から2007年当時までを描いているらしく、それもあってかなり平成の日本を感じる。この雰囲気、青春コンプの心臓には悪い。小学生時代には家電や公衆電話で連絡を取り、高校生時代にガラケーが出てくる。

 

 

久しぶりに見た俺と初見フォロワーの感想

久しぶりにみたら自分の記憶よりコスモナウトがよくて、コスモナウトがよくてね~~~おじさんになってしまいました。そして自分が記憶してたよりも3話の秒速5センチメートルが説明不足だな~と思いましたね。こんなにわかりにくい感じだったっけなと思ってしまった。初めて見た時はヒロインの明里が理解できなくて、その後嫌いになったのを今でも覚えています。今でも「理解」はしてるけど「納得」はしてないし嫌い寄りなキャラだな~と思った。

 

一緒に見に行った初見フォロワーからは「最後が分からんかった」との感想が出てきてごもっともだと思いましたけど。

あと彼は「けど告白は…した方がいいです」って言っててその時は流したんですけど、後になって考えると「この作品を見て告白はした方がいい、という感想が出てくるのって根本から捉え方が違うのかもな」と思って興味深かったですね。そもそも、僕は秒速において「告白してなかったからこうなったんだ」という見方をしたことは1度もなかったので。

 

「桜花抄」 貴樹は「告白したほうがよかった」のか

さて、貴樹は明里と過ごした小学生時代、あるいは栃木まで会いに行った際に告白するべきだったのか。

もちろん、貴樹の視点では伝えそびれた想いがあるというのは明確な後悔や囚われの一因にはなっていると思うが、告白したからといって物語が大きく変わったとは思えない。告白した瞬間から、彼らの関係性はどちらにせよ大きく変わることになるだろうし、それは十中八九良い方向だろうと俺も貴樹も思っている。ただ、彼らの人生の前に横たわる巨大な時間的、空間的断絶は変わらずある。そして何より、その後の遠野貴樹が篠原明里を超えて前に踏み出せなくなってしまった本質的な理由は、彼らの曖昧な関係性や想いを伝えられなかったことが原因ではなく、「遠い世界には言葉とか肉体を超えて繋がれる相手がいる」という幻想だと思っている。

 

「手紙をなくしてしまったことは言わなかった。あのキスの前と後とでは世界の何もかもが変わってしまったと思えたからだ」

 

 

貴樹は明里への手紙を風にさらわれて失くしてしまうが、手紙をなくしてしまい渡せなかったこと≒思いの丈を伝えられなかったこと、告白できなかったことを後悔しているとは思えない。ただ、言葉を超えた「あのキス」を前にしては些細なことだったと感じたのかもしれない。

そしてそれが、言葉も、肉体も、時間的空間的な距離をも超えられるのは「青春時代のそれ」だけだと思えるのは俺が青春コンプなだけなんだろうか。

もっといえば、貴樹は間違いなく篠原明里に固執しているが、明里はあくまで「孤独な旅を超えた先にある遠い世界に存在する、精神的な繋がり」の象徴に過ぎないのかもしれない。明里を精神世界の住人と思っている節があると思う。しかし、篠原明里は紛れもなく地上の人間である。両親もいれば、婚約者だって出てくる。(3話)

 

「手紙から想像する明里は、なぜかいつも1人だった」と貴樹は言う。

 

 

「コスモナウト」に現れる俯瞰での貴樹

 

「貴樹君は、他の同級生と違ってどこか遠くを見ていた 中二で転校してきたその日のうちに好きになって…」

 

 

昔見た時は、このパートの時点で既に貴樹は明里や初恋に完全に囚われていて、花苗はそんな貴樹に恋をしてしまった被害者であり失恋してしまうというように思っていたが、久しぶりに見ると「コスモナウト」の時点ではまだなんとかなる状態で、同時にここが明確な分岐になってしまったように思った。

どこか遠くを見ている、と表現された貴樹と貴樹に恋心を抱く花苗の物語は、明里に対する初恋の原始的な体験があるから破滅を迎えるのは予定調和にも見えるけど、それでもまだこの時高校生。

花苗が貴樹を変える可能性は十分に残されていて、花苗はその可能性に最も近づいたように見える。それでもなお、貴樹は遠くの世界を捨てきれなかったし、花苗は捨てさせられなかったというのが、この時を境に運命が決まってしまったのを感じさせる。このパートがただの通り道としてのエピソードではなく分岐だったんだ、と捉えるとそれがもたらす絶望感は計り知れない。

 

「貴樹君は、私を見ていない」と花苗は悟ることになった。

 

 

高校生同士の恋愛をもってしても乗り越えられないならもう無理だよ、と青春コンプ人間は思う。

 

 

秒速5センチメートル」と青春コンプのリンク

最後に社会人以降の貴樹の物語となる「秒速5センチメートル

 

ただしこの第3話、とりわけラストに近づくにつれて1つのストーリーというより様々なシーンの連続で、セリフも少なく主題歌に合わせてスライドショーのようになっている。

これが最終話を解りにくくさせているひとつの要因で、印象的なシーンはあるもののその繋がりが捉えにくいのは間違いない。

それでも、第3話の進行は1話、2話を経た貴樹、そして視聴者に対してこれがこれまでの道を辿ってきたことによる末路だよと否応なく突きつけてくるように感じられて刺さってしまう。ここまで来ると物語はもう動かない。ただそこにある実情と、貴樹が抱えるもの、そして同じ時間軸の明里が対照的な状態であることを伝えてくる。

貴樹は「出すあてのないメールを打つ癖がついたのはいつからだろうか」と語る一方で、水野理沙には「1000回くらいメールでやり取りして、心は1センチくらいしか近づけませんでした」と別れを告げられてしまうのが貴樹の現状をよく表している。

 

第3話の劇的な展開などが何も起こらないことは非常に現実に則していると言えるし、それこそが秒速5センチメートルを完成させていると思える。思い返せば、貴樹視点での人生の「色」は確実に減り続けている。だけどそれは、大人になるにつれて人生の苦痛や障害がどんどん増えているということではない。それなのに子供の頃や学生の頃に何かを見失ってしまった感覚があって、同時に現状や世間(≒大人になった明里や同年代の女性等)の一般的な感覚に強烈な違和感を持たせるような表現が青春コンプ人間の抱える感覚や視点に酷似しているように感じる。だから似たような感覚を持つ人は第3話の貴樹の視点に比較的入りやすくて、情報の断片から多くを吸収してしまうような気がする。

 

個人的にはキラキラした青春みたいな作品も好きなんですが、青春と同時にそれを時の流れや別れで破壊されて行く作品が好きなんですよね。1つには1から10まで青春だと辛くて見れないのと、青春しなくなる作品って「青春を俯瞰で見てる大人」が作ってる感じがして好きなんですよね。もう青春なんてないと分かっているのに青春を描いてしまう大人、青春が好きなのにどうしてもそこに入りきれなくて青春の外側を描いちゃう大人、本当にきしょくて好き。未経験の青春と恋愛にどっぷり使ったあと現実に引き戻されるのが大好きで…。こうなることでかえって未経験の青春と恋愛に実在性を錯覚してるのかもしれないな。彼らは間違いなく両思いだった(少なくとも、両思いだった時期はあった)のにどうしようもない展開を辿るし、そのどうしようもなさこそが青春であり、青春コンプが好きだけど嫌いな要素が詰まってる。秒速5センチメートルが好きなのはそういうとこがある。

 

youtu.be

 

最後に

 

ラストシーンに対する解釈、みたいなのも書こうかと思ったけどさすがにネタバレに配慮できてなさすぎるのと、自分でも未だに根拠を持って納得できる結論が出てないので控えます。あとは正直第3話はしんどすぎて直視できないからしっかり頭に残ってないかもしれない。第1話もかなりしんどいのに。1番ちゃんと見れるのは第2話。

 

最後まで読んだ人で秒速5センチメートル見てない人はまだ間に合うのでこの機会にぜひ見に行ってください。見る時期によっても感想や捉え方の変わる作品でもあると思うので初めて見た時の感想、時がたってからの感想どれも大事にしたいね。

 

もう一度言いますけど、二週間限定なので今のうちに劇場へ!!お願いします!!感想も投げてね!!